東日本大震災被災地支援活動報告

東北地方太平洋沖地震一連の大災害に際しまして、亡くなられた多数の方々のご冥福を祈念し、謹んでお悔やみ申し上げますとともに、被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。
私たちクラーク株式会社は、震災後に以下の取り組みを行っております。

  1. 少額ながら義援金を送らせて頂きました。
  2. 防疫活動を担うペストコントロール業者に対して、抗ウィルス加工マスクの提供を致しました。
    岩手・宮城・福島の3県の各ペストコントロール協会を通じて、合計3万枚余りを提供しました。
  3. 2011年7月8月に現地での防疫活動支援を行いました。

防疫活動支援報告(2011年7月・8月)

現地での防疫活動は被災地のペストコントロール業者が担当して5月の連休明けから始まっていましたが、気温の上昇に従って、被災した水産加工場から流出した水産加工品や、原料の魚からオオクロバエ、キンバエ、イエバエなどが大量に発生しはじめ、被災地域住民の方々の生活に悪影響を及ぼすようになりました。当社の加盟する社団法人日本ペストコントロール協会では、公益社団法人日本国際民間協力会(以後nicco)の協力を得て全国のPCOに呼びかけ、3か月余りにわたって延べ8900名余を波状的に被災地に派遣し、ハエの駆除作業に取り組みました。当社はその一員として7月初旬に社長が現地作業に従事、8月には社員1名を派遣、駆除作業に取り組みました。

東日本大震災被災地支援活動報告 当社の担当した場所は宮城県の気仙沼港でした。
宿泊場所の一関から車で約1時間半かけて港から少し離れた作業準備場に赴き、作業準備を行います。防護服に着替え、タンクに殺虫剤を準備、漁港の散布場所に移動します。朝7時に出発して準備作業が終わって、作業開始が10時頃です。港は当時(7月初旬)も津波の爪痕が生々しく残っていました。あたりは水産品の腐敗臭に満ち、瓦礫は5mほどにも積み上げられたままで、流出した水産加工品を詰め込んだ土木用大型土嚢の中はハエの幼虫で満ち、ところどころの破れた穴からあふれ出している状態でした。また、逆さになった乗用車が放置されたままになっていたり、半世紀生きてきた筆者は言葉を失いました。名古屋より涼しいとはいえ、日中32度を超える気温の中、防護服に、特殊マスク、ゴーグルを装着しての作業は体力的にとてもきつく、生まれて初めて1日に6リットル以上の水を飲みました。しかし、我々は作業期間が終われば自宅に戻れるが被災された方々は戻る家さえ失ってしまったことを考えると弱音を吐く気にはなれませんでした。

東日本大震災被災地支援活動報告我々の取り組みが奏功し、ハエの発生がかなり抑制された結果を得ることができ、地元の方にも喜んでいただけたとの話を伝え聞き、小さいながら役割の一端を果たせたと思います。
被災地の復旧、復興は5年10年と長い道のりだと思います。私たち一人ひとりができることを続けることが重要だと思いました。

クラーク株式会社
代表取締役 坂倉 弘康